長野地方裁判所 昭和36年(レ)14号 判決 1962年7月10日
判 決
長野県篠ノ井市大字小松原五二二番地
控訴人
中村貞重
茨城県鹿島郡鉾田町半原八二番地
被控訴人
成田ちか子
右訴訟代理人弁護士
鈴木敏夫
右当事者間の所有権確認等請求控訴事件について当裁判所は次のとおり判決する。
主文
一、原判決中控訴人に関する部分を取消す。
二、被控訴人の請求を棄却する。
三、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
被控訴人は請求原因として、長野県篠ノ井市大字小松原字段之原五二一番の一畑一反一畝二一歩(もと宅地三五一坪。以下本件土地という。)は被控訴人の所有であるが、寺沢厚(一審被告)は昭和二八年一〇月二一日、被控訴人が昭和二八年三月九日同人から弁済期は同年四月一〇日遅延損害金は日歩金三〇銭の約束で利息の定なく借り受けた金二八万六〇〇〇円及び右割合による一七九日間の遅延損害金一五万三五八二円合計金四三万九五八二円を同年一〇月一二日限り弁済すべきことを約した旨及び被控訴人の執行受諾文言の記載のある東京法務局所属公証人田部顕穂作成第四〇九三号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本にもとずき本件土地に対し強制競売の申立をなし(長野地方裁判所昭和二八年(ヌ)第五号不動産競売事件。)、昭和二九年一一月六日自ら最高価競買人として競落許可決定を受け、同月一八日代金を納入し、同月一九日長野地方法務局川中島出張所受附第二一四六号をもつて所有権移転登記を経由し、控訴人は昭和三〇年一二月一〇日長野県知事の許可を受けた上右寺沢との間で控訴所有の農地と本件土地を交換し、同月一三日本件土地につき同出張所受附第二一二二号をもつて所有権移転登記を経由し、その頃右寺沢から本件土地の引渡を受けて現にこれを占有使用している。しかし右公正証書は、被控訴人が寺沢に対する金一六万六〇〇円の債務の担保のため被控訴人所有不動産に抵当権設定登記手続をする目的で同人に交付しておいた白紙委任状及び印鑑証明書を同人において冒用した結果作成されたものであつて、被控訴人は前記公正証書記載の債務につき公証人に対し執行受諾の意思表示をしたことはないから、前記公正証書は債務名義として無効であり、これに基き行われた強制執行手続は全部無効である。よつて被控訴人は右競落により本件土地の所有権を失つていないから、控訴人に対し本件土地が被控訴人の所有であることの確認、前記交換による所有権移転登記の抹消登記の手続及び本件土地の引渡を求める。なお被控訴人は前記公正証書が作成されたことを知り直ちに長野地方裁判所に対し右寺沢を被告として請求異議の訴を提起し、昭和三〇年一一月二一日勝訴の判決を受け二審でも勝訴し前記公正証書の執行力は排除されたが、前記強制競売手続は停止されず進行したため、寺沢において本件土地を競落するに至つたものである、と述べ、控訴人の抗弁事実を否認した。
控訴人は請求原因に対する答弁として、控訴人が昭和三〇年一二月一〇日長野県知事の許可を受けた上寺沢厚との間で控訴人所有農地と本件土地を交換し、同月一三日本件土地につき被控訴人主張の所有権移転登記を経由したこと、その頃右寺沢から本件土地の引渡を受け現にこれを使用占有していることは認めるが、その余の事実は不知、と述べ、抗弁として控訴人は寺沢が競落した本件土地の所有権を前記交換により取得したものであるが、仮に右競落が無効であるとしても、右交換に当り寺沢及び被控訴人の代理人であつた西沢勝治において本件土地に隣接する被控訴人所有の宅地二九坪をも本件土地と共に控訴人所有農地と交換し、本件土地の所有権が被控訴人から寺沢に移転したことを追認したものである、と述べた。
証拠(省略)
理由
(証拠)によれば、本件土地がもと被控訴人の所有であつたこと、寺沢厚が昭和二八年一〇月頃被控訴人主張の公正証書の執行力ある正本に基き本件土地に対し強制競売の申立をなし、昭和二九年一一月六日自ら最高価競買人として競落許可決定を受け、代金を納入して同月一九日本件土地につき所有権移転登記を経由したことが認められるところ、控訴人が昭和三〇年一二月一〇日長野県知事の許可を受けた上寺沢との間で控訴人所有の農地と本件土地を交換し、同月一三日本件土地につき所有権移転登記を経由したことは当事者間に争がない。
被控訴人は右公証書記載の債務につき公証人に対し執行受諾の意思表示をしたことはないから右公正証書は債務名義として無効であり、右債務名義に基く執行行為は全部無効である、と主張するので先ず右公正証書作成の経緯について検討するに、(証拠)によれば、被控訴人は昭和二八年三月九日寺沢厚から金一〇万円を借り受け、これに既存の債務の元利金六万六〇〇〇円を合算した金一六万六〇〇〇円の債務につき弁済期昭和二九年一月九日利息月七分とする契約を締結し、弁済期に支払わないときは右債務につき本件土地及び同土地上の建物に抵当権を設定することを約し、右抵当権設定登記手続に使用するため被控訴人の印を押捺した白紙委任状三通を同人に交付しておいたところ、同人は昭和二八年一〇月初頃右三通の委任状のうち一通を冒用して被控訴人が前記公正証書記載の債務につき公正証書作成の嘱託を海上和平に委任する旨の委任状を偽造した上これを右海上に交付し、同人は同月五日何等の権限がないのに拘らず右偽造委任状を使用して公証人に対し被控訴人の代理人として前記公正証書の作成を嘱託したことが認められ、前記各証拠に照し信用しない原審における一審被告寺沢厚本人尋問の結果のほかに、右認定を覆し被控訴人が本件公正証書記載の債務につき公証人に対し執行受諾の意思表示をなしたことを認めるに足りる証拠はない。
ところで、執行受諾の意思表示は公証人に対する訴訟行為であつて公正証書の執行力の根源をなすものであるから有効になされることを要し、公正証書に執行受諾文言の記載があつてもその意思表示が権限のない者によつてなされたときは公正証書は債務名義としての効力を生じないものと解すべきであるから本件公正証書は債務名義として無効であることは明かである。しかし右債務名義にもとずく執行行為を直ちに当然無効と解することは早計である。何故ならば強制執行の基本となるのは債務名義自体ではなく、執行文を附したその正本(執行力ある正本)であるからである。即ち現行法上執行機関は執行の実施に当り債務名義の有効、無効を審査する権限を有せず、執行文附与機関(書記官、公証人)の執行文による執行力の公証に信頼して執行を実施することができ、また実施しなくてはならない。従つて債務名義自体は無効であつても執行文が債務名義たる形式を具備した証書に附記されている限り、これに基く執行行為は有効であるといわねばならない。(これに反し例えば私署証書、執行受諾文言の記載を欠く公正証書に執行文が附された場合はこれに基く執行行為は無効である。)これに対し債務者は執行文附与に対する異議又は請求異議の訴によつて執行不許の裁判を求めるべきであるが、何時までに右裁判が確定することを要するかについては別個に考察しなければならないところ、当該債務名義にもとずく執行(全体としての執行)が全部完了したときは、右裁判を求めること自体ができないことは勿論であるが、その以前においても個々の執行手続、例えば不動産に対する強制競売手続において、競落許落許可決定が確定し第三者たる競落人が代金を納入して確定的に執行の目的たる不動産の所有権を取得するまでに前記執行不許の確定裁判を得てこれを執行機関に提出しなかつたときは、債務者は以後如何なる方法によつても債務名義の無効を理由として当該競落による所有権移転の効力を争い得ないものと解さねばならない(大審院昭和一一年一二月一二日判決、高松高裁昭和三二年四月一〇日決定参照。)。以上の解釈が正当であることは、債務名義の無効は右の場合当該証書自体からは明かでないので、右のように解さなければ競落人又はこれから所有権の譲渡を受けた第三者に不測の損害を及ぼし公の競売に対する信用を害するに至ることに徴しても明かであろう。
これを本件についてみるに、冒頭掲記の各証拠によれば、寺沢厚は債務名義たる形式を具備した本件公正証書の正本に執行文の附与を受けた上、昭和二八年一〇月二〇日頃これに基き本件土地その他の被控訴人所有財産に対し強制執行に着手し、被控訴人はこれを知り長野地方裁判所に対し寺沢を被告として本件公正証書が債務名義として無効であることを理由として請求異議の訴を提起し、一、二審共勝訴の判決を受けたのであるが、、本件土地に対する強制競売については強制執行停止決定を得ておかなかつたため、右裁判確定前に前認定のとおり寺沢に対する競落許可決定が確定し同人において代金を納入したことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうとすれば被控訴人はもはや右競落の効力を争うことはできず、本件土地の所有権は右競落によつて控訴人に移転したことが明かである。
以上の次第で本件土地は被控訴人の所有でないことが明かであるから、これがなお被控訴人の所有であることを前提とする被控訴人の本訴請求は全部失当であり、これを認容した原判決は取消を免れない。よつて民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
長野地方裁判所民事部
裁判長裁判官 田 中 隆
裁判官 滝 川 叡 一
裁判官 内 園 盛 久